8月4日(日)
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いよいよ東北への旅に出発です。11日間という日数 も、長距離フェリー(名古屋〜仙台:770km)の利用も、 初めてのチャレンジです。 |
助手席にまで荷物がぎっしり。また、輪行袋の中身は自転車じゃなくシャワーチェアー、 そしてその左にある青いものは、折りたたみ式のメッシュベッドです。 |
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8時に自宅をスタート。山陽→名神→新名神→ 東名阪→伊勢湾岸と、高速を乗り継いでフェリー 乗り場に着いたのは午後3時。思ったよりも順調 なドライブでした。 |
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埠頭には、われわれが乗船する”きそ”が停泊して います。出航予定は午後7時。 |
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フェリー乗り場には、私たちの初めてのハワイ旅行 のときお世話になった、名古屋在住のめぐみさんが 会いに来てくれました。彼女とは9年振りの再会で、 海くんの成長振りに感心しておられました。 |
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めぐみさんとお別れしてから、車で待機場所まで移 動。 |
同じ待機場所にはサイドカー付きのバイクの親子や、大型バイクで 北海道ツーリングに行くとおぼしき熟年夫婦の姿も…。 |
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乗船後、個室のバリアフリールームに落ち着く間も なく、レストランに急行します。というのも、夕食のバ イキングが評判で、すぐ行かないと満席になってしま うからなのです。 |
案の定、われわれが席について30分もしないうちに、レストランの入り口には 空席待ちの列ができていました。 |
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素晴らしい料理を堪能し、ビールも少しいただいた 海くん。満足しきった表情です。 |
夕食後は、ホールで開かれていた中国の楽器”揚琴”の 演奏を聴きに行きました。 |
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揚琴は、100本以上ある鉄製の弦を、茶杓の柄を 長くしたような独特のバチで打って音を出します。 素晴らしい演奏にうっとりした海くんと一緒に、演奏 者の金さんも入ってもらって、記念撮影。 |
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会場を出ようとしていると、1人の男性が声を掛け てきました。聞くと、お医者さんとのこと。「もしもの時 には、お手伝いしますよ」。実はこの船には常駐の船 医はおらず、各自が提出する乗船名簿の記載欄の 中に、医療従事者の船客向けに「緊急の時にはお 手伝いいただけますか?」という質問項目があるの です。ご好意に感謝しましたが、幸いお力を借りず にすみました。 |
この日の(車の、以下同じ)走行距離は466km
8月5日(月)
左がバリアフリールームの室内。船の中とは思えない広さです。 右はシャワー・トイレ室。左の壁面よりにメッシュベッドを置いて その上で海くんの体を洗いました。 |
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最上階のデッキからは、広々とした太平洋が見渡せ ます。 |
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相馬市の沖合いで、仙台から名古屋に向かう僚船 とすれ違いました。もうあと1時間余りで、仙台入港で す。 |
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仙台港から車で30分余り、JR仙台駅前のホテルに 到着。 |
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一休みしてから、夜の街を仙台駅へと向かいます。 この夜、全障研仙台支部の皆さんが交流会を開いて くださることになっていて、会場まで案内してくれる人 と仙台駅で待ち合わすことになっていたのです。 |
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待ち合わせ場所に到着。仙台では翌日から有名な ”七夕まつり”が始まります。構内も、その飾り付けが あふれていました。 |
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そこへ現れた鷲見さん。挨拶もそこそこに、電動車で 走り始めます。そのスピードが速い!バギーを押す海 パパも、はや歩きです。 |
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いくつかのエレベーターで上がったり下がったりして たどり着いたのは、鷲見さん行きつけの海鮮居酒屋。 |
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「みなさん、おまたせしました」。早速みんなで乾杯! |
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海のものがメインのお店ですが、「仙台に来たらこ れを食べなきゃ」。そう、牛タンです。 |
若い女性の先生にミキサー食を食べさせてもらって、ご満悦の海くんです。 |
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海くんのほっぺたにくっついているのが何か分かる 人は”通”です(答えはこの日の最後に)。 |
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仙台支部のみなさん、楽しいひと時をありがとうご ざいました。 |
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一応会はお開きになったものの、酒豪の鷲見さん は飲み足りない様子。われわれもお付き合い。 |
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「それじゃあ海くん、弘前の全障研大会でまた会お うね」。そう言うと、鷲見さんは夜の街に消えていきま した。ひょっとしたら、1人で二次会? |
※ 三陸名産のホヤです。おいしかったです。
あす以降毎日、1日分ずつアップしていく予定です |
この日の走行距離は22km
8月6日(火)
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仙台を出発する前に、一目”七夕飾り”を見ようと 商店街に向かいます。 |
ありました、ありました。「これが七夕飾 りか!」。長さ10mほどのものが、まるで ジャングルの密林のように、どこまでも続 いています。なかでも印象深かったのは 核廃絶を訴える”平和七夕”。ときあたか も、ほんの1時間前まで広島では平和記 念式典が開かれていたのです。 |
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仙台宮城ICから一関ICまでは東北道。そこから国 道284号線を一路気仙沼へ。3時間かけて到着。今 日の宿泊地大島には、このフェリーで向かいます。 震災当時フェリーが津波で流され困っていたところ、 江田島市のフェリー会社が船を無償で貸与して、窮 状を救ったそうです。 |
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現在港の駐車場として使われている広々とした空き 地には、津波前人家が密集していたそうです。 |
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船の出発まで時間があるため、道路の向こう側に ある”復興屋台村−気仙沼横丁”を訪ねることにしま した。 |
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仙台から昼食抜きで飛ばしてきたためお腹がすい た海ママは、「うに丼が食べたい!」と軒並み声を掛 けたのですが、どの店も完売。そりゃそうだよね、も う2時だもん。 |
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あきらめて港に帰ろうとしたときふと目にしたのが、 女子高校生たちによるお茶とお菓子の接待。実は彼 女たちは、兵庫県立豊岡総合高等学校茶道部のみ なさん。夏休みを利用して、顧問の先生と共にボラン ティアとして活動しているとのこと。素晴らしい。 |
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フェリーに乗ること30分。やって来ました”休暇村 気仙沼大島”。ここは高台にあるため津波の被害は なかっものの、震災後しばらくの間は復旧工事の作 業員の宿舎となっていたため、営業できなかったそ うです。 |
”被災地で自分たちにできるのは、せめてお金を使うこと”ということで 気仙沼名産のフカヒレを大奮発。 |
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この日の走行距離は141km
8月7日(水)
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10時過ぎの気仙沼行きフェリーに乗る前に、島内を 車で回ってみることにしました。まず向かったのが、休 暇村最寄の田中浜。防波堤は崩れて砂に埋まり、未 処理のガレキの山が…。 |
外枠のみ残った看板や道路標識の支柱は、いずれも海のほう(左)にむかって 傾いています。海からやって来た津波によってまず右(陸側)に傾き、つぎに引 き波の圧力でこうなったのではないかと思いました。 |
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気仙沼に戻ってきて落ち着いて周囲を見回すと、 残っているのは鉄筋コンクリートの頑丈な建物ばか り。木造の民家や商店は、震災から2年以上もた つのに、影も形もありません。 |
今回の旅の目的の1つに、”被災地の現状を目に焼きつける”ことがありました。 もちろん「野次馬根性や怖いもの見たさと同じだ」と言われるかも知れません。し かし地元の人たち(犠牲になられた人たちも)は、1人でも多くの人が現地を訪れ 被災の有様を心に刻むことを望まれているのではないか。そんな思いで、この日 海ママは運転係りに、海パパは記録係りに徹し、三陸沿岸を走る国道45号線を ひたすら宮古に向かって走り続けました。 |
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港を出発して2〜3分走ると、かつては住宅地であっ た更地のど真ん中に、大きな漁船が打ち上げられてい ました。 |
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これは震災遺構として保存されてきた”第18共徳丸” (全長60m)です。日傘をさす海ママと比べると、その大 きさが分かります。こんな船が、港から1km近くも押し 流されてきたのです。 |
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船の脇には小さな祭壇と、外部からの来訪者に対す る注意喚起の掲示板が。この震災遺構も、危険性や その他のさまざまな事情から、お盆明けから解体工事 が開始されるそうです。 |
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第18共徳丸から20分余り走り、陸前高田の旧市街 に入ろうとしたとき、右手に”奇跡の一本松”が見えてき ました。7万本中たった1本残ったこの松も、地盤沈下 による塩害で枯死し、昨年9月に伐採。その後防腐処 理を施し、復興のシンボルとして元の場所に戻されまし た。それに要した費用は、市が呼びかけた募金によっ てまかなわれたそうです。 |
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一本松から至近距離にある、これも津波被害の象徴 的存在”道の駅−高田松原”。広大な駐車場は、松原 目当てに当地を訪れた、年間100万人ともいわれる観 光客の賑わいをしのばせます。 |
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内部の荒廃ぶりは、津波のすさまじさを物語ってい ます。画面中央、斜めに横たわっているのは松原の 松です。 |
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駐車場の片隅、道の駅に向かい合うように建って いるのは”東日本大震災 追悼施設”。 |
その内部です。祭壇の上は(この暑さを考えると)午前中に供えられたばかり であろう花々で一杯でした。 |
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国道を挟んだ山側には、見渡す限りの草原が広 がります。ここには多くの住宅や店舗があり、人々 の暮らしがあったのでしょう。 |
一本松に歩いて(車では不可)行ってみたかったのですが、時間がなく先を急ぎます。 下の4枚は、陸前高田の様子を車中から撮影したものです。右上の建物は無事に見 えますが、すべての窓が破られ、室内には何も残っていません。 |
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国道45号線ですれ違う車の半数以上は、復興工事 関連のダンプカーです。 |
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2年以上たつというのに、遅々として進まない復興。 ”日本を、取り戻す。”という白々しいポスター。 |
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やっと”休暇村−陸中宮古”に到着。「海ママ、1人 で運転お疲れ様でした。」 |
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夜、宮古市在住の濱田さんが訪ねて来てくれまし た。濱田さんは北海道の福祉施設で働いていたとき 震災を知り、「自分の生まれ故郷である宮古のため に、できることをしたい!」という強い思いから帰郷。 現在、”放課後等デイサービス事業所”で働いておら れます。また彼は全障研岩手支部の最若手の会員 で、弘前大会の全体会では”震災から2年半”と題し て重点報告する予定です。 「海くん、弘前で待ってるよ」 |
この日の走行距離は156km
8月8日(木)
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翌日宿を出てまず向かったのは、車で20分ほど離 れた田老地区。ここは”日本の万里の長城”とまで言 われた、高さ10mの防潮提で有名でした。しかし、2 年まえの津波はこれをなんなく乗り越え、200名近い 犠牲者を出してしまいました。それ以来ここは”防災 教育の拠点”となり、この日も堤防の上にはボランテ ィアガイドの説明に熱心に耳を傾ける学生の姿があ りました。 |
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これは、防潮提の上からその内側(陸側)を撮影した ものです。集落の跡形もありません。 |
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これは海側を撮影したもの。かつてここには水産加 工団地がありましたが、すべて流され、現在は仮設の 工場で生産を再開しています。 |
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次に向かったのは、風光明媚な宮古の海岸を代表 する浄土ヶ浜。静かに玉砂利を洗う澄んだ海水を見 ていると、2年まえの”あの日”がなかったかのような 錯覚にとらわれます。 |
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カッパえびせんを海くんに握らせてあげると、ウミネ コがそれを食べに集まってきました。 |
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昼食に立ち寄ったレストハウスの壁には、こんな写 真が…。 この後、われわれは三陸沿岸から離れ、国道106 号線を一路盛岡へと向かいました。 |
盛岡では、全障研岩手支部のみなさんが交流会を開いてくださいました。 その会場となったのが、盛岡駅すぐ近くのカラオケスナック”えびいす”。 看板の左下にある車椅子マークが示すように、このお店は完全バリアフ リー設計。それもそのはず。店主のえびすさん(右写真の左端)は、もと 養護学校の先生。退職に際し、”障害者が安心して歌って飲める場を”と 一念発起して始められた店だからです。 |
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まずは乾杯。開店のために、調理師学校に入学した えびすさんが腕を振るった料理に舌鼓を打ちながら、 いろんな話に花が咲きました。 |
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一杯機嫌になった海くんと海ママ。久しぶりに2人で カラオケを楽しみました。 |
この日の走行距離は136km
8月9日(金)
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この日は盛岡から大会会場の弘前まで、東北道を 使って移動する”楽勝”の1日(のはずだったのです が…)。まず最初に訪問したのは、NPO法人”のびっ こ寮育センター”。これは前夜交流会でご一緒した鏡 さん(乾杯の写真で、海ママの右隣)が市の職員だっ たとき、障害児を抱える親たちの切実な要求に感銘 して立ち上げた施設で、現在家族をはじめ、看護師 を含め数名のスタッフによって運営されています。 |
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この日は朝からの雨のため野外での活動ができ ず、全員がプレイルームに集まってゲームの最中。 それにしても、すごい熱気です。 |
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海くんを初め、われわれの自己紹介に続いて、年 齢順にのびっこたちの自己紹介。 |
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ここはスタッフの休憩室。ここで海ママが鏡さんの 奥さんや娘さんと雑談していると、娘さんが「ネット 情報によると、東北道の秋田と岩手の県境付近が 通行止めになっているらしい」と教えてくれました。 ”楽勝”だったはずの行程に、突如暗雲が…。「とに かく高速を行けるところまで行って、それから考え よう」ということで、急遽出発しました。 |
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盛岡ICから東北道を北上。「どうか通行止めが解除 になっていてくれ!」との祈りもむなしく、安代から先は バリケード封鎖。やむを得ず、高速に沿って走る国道 282号線を走ります。雨はすでに上がっていたので、 「多少遅れるものの、大丈夫」と楽観していると、山の 斜面からは異常な出水が。この時点で、秋田県仙北 市・大館市が記録的豪雨に見舞われ、大きな被害が 出ていることを全く知りませんでした。 |
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そのうち携帯に緊急災害情報がメールで届き、国道 そばの米代川が各所で氾濫しているとのこと。たしか に道路はいたるところでこんな状態。そして、やっとの 思いで平野部に出て一安心したのもつかの間。今度 は大渋滞。たった5km足らずの鹿角の市街地を抜け るのに2時間半以上かかってしまいました。 それでも6時前には弘前のホテルに到着。一時は大 会参加が危ぶまれただけに、ほっと一安心。 |
この日の走行距離は165km
8月10日(土)
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いよいよ全障研弘前大会初日を迎えました。まず 受付をすませて。海のバギーを押してくれているの は、大会期間中海の介護をしてくれる理学療法士さ んです。 |
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全大会の文化行事は、つい3日前に終わった”弘前 ねぷた”で幕を開けました。 |
ステージそしてフロア、どちらも地元のこどもたちのエネルギー で一杯でした。 |
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荒川全国委員長の主催者挨拶に続いて、宮古の宿に訪ねてきてくれた 濱田さんの重点報告。 |
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全体会の最後は”とどけ!みんなのねがい”と題して 青森県内の障害者、保護者、療育・教育関係者の方々 から、参加者へのメッセージが発表されました。 |
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休憩時間には書籍売り場に直行。販売促進にいそし む、海ママと海くんでした。 |
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昨年の広島大会の熱気が冷めやらぬためか、広島 県からの参加者が30名を超えることが事前に判明。 大会直前になって、1日目の夜に県の交流会が開か れることになりました。 |
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同じ県に住んでいながら日ごろ交流の機会が少ない 仲間どおしが触れ合える、貴重な機会になりました。 |
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交流会の会場から宿泊しているホテル まで歩いて帰る(所要時間20分)途中に は、アダルトなエリアも。「海くん、パチン コ店の次は、こんなお店に入ってみる?」 |
この日の走行距離は6km
8月11日(日)
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大会2日目は分科会に分かれて学習します。会場は ホテルから車で10分ほどの弘前大学。 |
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分科会場で、秋田の川和田さんとバッタリ。川和田さ んは毎年、何人もの若い学生さんたちと一緒に参加し ています。海ママはそれがとてもうらやましい。 |
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われわれが参加したのは”地域生活とその支援”が テーマの分科会。ほとんどのレポートが障害者本人に よるもので、”障害者の自立とはなにか”、”充実した自 立生活をおくるには何が求められるか”が真剣に話し 合われました。 |
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あいにく、会場である一般の講義室には暖房はあっ ても冷房はなく(さすが弘前!)、海くんは前の入り口近 くにいることにしました。それでも背中は汗でびっしょり に。途中で失礼して、冷房の効いた保育室に移動しま した。 |
しばらくして保育室に行ってみると、海くんは音楽療法を受けている真っ最中。 音程の異なる手持ちの音叉の音を聞かせてもらったり、砂粒のようなものが入 っていて、傾けると小川のせせらぎのような音がする、長い棒を使ってもらった り…。海くん、とてもリラックスしていい顔をしています。 |
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保育室を出て分科会に戻ろうとしていると、弘前市の ゆるキャラ”たか丸くん”(弘前城の別名「鷹岡城」の鷹 に由来)にバッタリ遭遇。 |
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海くんが会場に到着したのにあわせて、司会者の 要請で、海ママが海くんの自立生活を目指しての取 り組みについてお話しました。 |
「せっかく弘前に来たんだから、少しは観光も」ということで、分科会を少し早めに 退席し、まずやって来たのは”弘前市りんご公園”。園内には約65種、1200本 のりんごが植えられ、お願いすれば職員の方が案内しながら説明してくれます。 |
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「ここもはずせない」ということで訪れたのは弘前城。 後ろに見えるのが天守閣ですが、思ったよりちょっと 小さめ。 |
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内堀の堤を埋め尽くす桜。毎年4月末から連休にか けて開かれる”桜祭り”のときには、花びらが水面をお おいつくす、見事な花いかだが見られるそうです。 |
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ミニ観光の〆は、津軽三味線。”車椅子でも入れる手 ごろなお店”ということで、地元の人が薦めてくれたのが ”津軽三味線ダイニング 響”。とてもよかったです。 |
この日の走行距離は19km
これをアップした後、海パパは長男の墾夫婦と四国の佐田岬半島 へ1泊2日のバイクツーリングに出掛けるため、22日のアップは お休みします。次回のアップは23日の予定です。 |
8月12日(月)
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3日間滞在した弘前を後に、大鰐弘前ICから東北道 に入り、一路南下。9日に不通だった区間を気にしなが ら走ったのですが、昼前にいったん平泉前沢ICから出 て世界遺産”中尊寺”に向かいました。誘導員のアドバ イスにしたがって一番金色堂に近い駐車場まで車で登 り、そこからはバギーを手押ししていきます。この30m ほどの坂さえ登れば、後は楽勝です。 |
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金色堂は後回しにして、まずは本堂へと向かいます。 |
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「海くんもお線香を供えたら?」と、海ママ。でも手が 届きません。 |
本堂に続いて不動堂や讃衡蔵(宝物館)を見学した後、さあ金色堂へ!左の写真 奥に見えるのは金色堂を保護している覆堂。「車椅子で大丈夫?」と心配しました が、スロープ等が完備されており、問題ありませんでした。金色堂そのものは撮影 禁止でしたが、海くんはしっかり最前列で見ることができました。中尊寺を後にして 再び東北道を南下。4時過ぎには(5日と同じ)仙台駅前のホテルに到着しました。 |
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”東北最後の夜をちょっとリッチに過ごそう”ということ で、海ママが散歩をかねて現地リサーチ。最終的に選 んだのが、ここ和風レストラン”大原”。この選択は大当 たりでした。海くんもビールを注いでもらってご機嫌で す。 |
三陸の海の幸や郷土料理を満喫しました。 |
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この日の走行距離は339km
8月13日(火)
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12時過ぎには仙台港を出るフェリーに乗って、東北 に別れを告げなければなりません。その前に”青葉城 跡には行ってみなきゃ”ということで、やって来ました。 |
伊達政宗騎馬像がある本丸跡からは、木々の向こうに高層ビルの立ち並ぶ 仙台市街中心部のパノラマ風景が楽しめました。 |
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11時過ぎに仙台港に着き、乗船手続き。その後 待機場所で、乗船の指示を待ちます。これが、われ われを名古屋まで乗せて行ってくれる”いしかり”で す。 |
来るときと同じバリアフリールームですが、ベッドの配置や広さが 微妙に違います。海ママは「来るときの”きそ”の方がいい」。 |
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上の写真(右)の左側が、このトイレ・シャワー室で す。海くんが、メッシュベッドを使ってシャワーを浴び たのは、来るとき同様です。 |
夕食バイキングの味は変わらないものの、「内部の雰囲気は、やっぱり ”きそ”の方がいいなぁ」と、海ママ。 |
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この日の走行距離は27km
8月14日(水)
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デッキを早朝散歩中の海ママが、日の出直後の太陽 を撮影。なかなかいい雰囲気です。 |
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あと1時間足らずで、名古屋港に入港です。下船準備 もすっかり整いました。 |
名港中央ICから入って、来たときと逆の道順で広島を目指します。「14日なら お盆の渋滞もないだろう」とたかをくくっていたのですが、四日市JCT〜亀山J CT間で10kmの渋滞につかまり、それを抜けるのに2時間かかってしまいまし た。おかげで、この大津SAで昼食を撮ることに。しかし、このSAは素晴らしい。 2階のフロア全体が広々としたフードコートで、3階の展望デッキからは琵琶湖 が一望できます。ここから自宅までは全く渋滞はなく、5時には無事帰宅。 |
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この日の走行距離は456km
”東北大旅行”の全走行距離は1933km
この11日間は、私たち3人にとって言い表せないほどの、貴重な 経験でした。東北でお世話になったみなさんに、心よりお礼申し上 げます。 |