3月8日(土)

  「できれば海くんにも、年齢にふさわしい自立した生

 活を送らせてあげたい」と願っている海ママ。この日

 やって来たのは、広島市地域福祉センターで開かれ

 た、ドキュメンタリー”普通に生きる”の上映会。

 

共催団体として挨拶する”きっかけづくりの会”理事長の奥田さんと

”えんじょいんと”代表の得本さん。えんじょいんとは、重度障害者の

グループホーム創設を目指していて、海ママもメンバーの1人です。

 

映画は、富士市での地道な活動を淡々と、しかも感動的に描いていきました。

 


3月10日(月)

  「海くんを沖縄に連れて行ってあげたい!」その願い

 がかなう日です。しかも海くんにとって、’05年夏の北

 海道旅行以来の、飛行機での旅です。

 

  少しでも海くんが楽に座れるようにと、プレミアムシ

 ートを予約。そのため、ラウンジ(特別待合室)が利用

 できます。

 

  ラウンジではフリードリンクが楽しめます。海くんが

 今から飲もうとしているのは……赤ワインではありま

 せん。トマトジュースです。

 

  搭乗時刻が迫ってきました。海くんが足に巻いても

 らっているのは”弾力包帯”。訪問看護に来てくれて

 いる理学療法士の木村さんの発案で、こうすることで

 機内での血圧の低下を防止します。

 

  地上勤務員のお姉さんにバギーを押してもらって、

 今から搭乗します。

 

  プレミアムシートであっても、離陸直前から水平飛行

 に移るまでは、こうして背もたれを起こしておかなけれ

 ばなりません。この日のために、木村さんに座位の訓

 練をしてもらったのです。それでも、ちょっと気になる

 海ママ。「海くん大丈夫?頑張るんよ。」

 

  約30分後、背もたれを倒してリラックスしている海

 くん。

 

プレミアムシートでは、機内食もちょっとリッチ。規則でミキサーが使えないので、

軟らかめの食材だけを味噌漉しで裏ごししていただきます。

 

  ワインもちょっぴり飲んで、すっかりいい気分。キャビ

 ンアテンダントのお姉さんと記念撮影だ!

 

2時間で那覇空港に到着。手荷物として預けていたバギーがすぐには出てこないので、

機内用の車椅子を用意してくれました。

 

  搭乗記念に、こんな素敵なメッセージカードをいた

 だきました。ありがとう。

 

このたびの沖縄旅行で、最も海ママが苦労したのが、海くんが乗れる

車探し。そしてやっと見つけたのが、このリフト付きのハイエース。運

転手の名前は”うんてん(運天)”さん。とても気さくなシマンチュー。

 

  この日の目的地は、本部半島突端にあるホテル。

 沖縄自動車道終点の許田ICを降りて、本部半島に

 入ってすぐ運天さんは「西原さん、ヤギの刺身食べ

 てみませんか?」。海パパが賛成すると運天さんは

 とある民家の前に車を止め、すたすたと入っていき

 ます。

 

家から出てきたおばさんと二言三言シマグチで会話すると、おばさんは

庭先に置いてある大きな冷凍庫から、パック入りの刺身を取り出してく

れました。その冷凍庫に向かい合う位置にヤギ舎があり、4頭のヤギが

「メ〜〜〜」と鳴いていました(微妙)。

 

  ”ホテル・マハイナ”に到着。ここを選んだ理由は、

 第1に、今回の旅行の目玉である”美ら海水族館”に

 近いこと。第2に、宿泊費が安いこと。そして第3に…

 それは、翌朝になれば分かります。

 

  部屋の外のテラスからは、広々とした東シナ海が見

 渡せます。沖に見えるのは水納島です。

 

夕食は、ホテルに隣接する”やんばる海の駅”のなかにある”海那丸”で。

とってもリーズナブルで、新鮮な海の幸が一杯。

 

  「海くん、旅行中に体重オーバーになってしまうか

 もね。」

 

沖縄旅行レポートは、これから順次

アップしていきます。

 


3月11日(火)

ホテル・マハイナを選んだ第3の理由は、このリフト付きの送迎バスの存在でした。

ホテルから美ら海水族館までは歩けない距離ではありませんが(所要時間20分)、

当日の天気次第では厳しい。そうかといって、車で5分の往復のために、運天さん

に浦添からわざわざ来てもらうのも…と思い悩んで海ママがホテルに相談すると、

普段は送迎用に使っていないこのバスを運行してくれることになったのです。

 

  水族館に向かう他のお客さんも乗せて、出発しま

 す。

 

  美ら海水族館がある、海洋博記念公園の正面入

 り口に到着しました。

 

  公園内の移動は、事務所を通じてこのリフト付き

 パトロールカーを呼んでもらえば、何の問題もあり

 ません。

 

  まず連れて行ってもらったのは、園のはずれにある

 ”エメラルド・ビーチ”。その名の通り、すばらしい。

 正面沖合いに見えるのは、”伊江島タッチュー”の愛

 称で親しまれている城山(172m)。

 

パトロールカーで次に向かったのは、イルカショーが観られる”オキちゃん劇場”

ショーの時間前には、満席の人気。

 

  海くんも、ダイナミックなショーを存分に楽しみま

 した。

 

  

 さていよいよ美ら海水族館に入館。最初の水槽は

 浅瀬の生物に直接触れられる”タッチプール”。しか

 し、バギーの高さと関節の硬さが障害となって、海く

 んはタッチできません。その様子を見ていた女性ス

 タッフが、海水とヒトデたちを入れた容器を、海くん

 の手元までもって来てくれました。こんな心遣いがう

 れしい。

 

4階から3階、3階から2階とスロープを下りながら、いろんな水槽を

楽しみます。

 

  そしてハイライトは、3頭のジンベイザメ、マンタや海

 ガメが泳ぐ、世界最大級の水槽”黒潮の海”。

 

  海くんと一緒に座りたかった、カフェ”オーシャンブル

 ー”の特等席も、なんとかゲットできました。

 

  美ら海水族館を堪能して、心地よい疲労感に身を

 任せて、伊江島を眺める海くんと海ママ。

 


3月12日(水)

  翌朝、雨っぽい空を気にしながら、ホテルを発って

 やって来たのは、本部半島最北端の備瀬。ここは見

 事なフクギ並木(防風林)で有名です。

 

並木の両側には伝統的な民家や、貝殻を売るオシャレなショップが。

 

  並木をちょっと外れると、NPO法人”備瀬・島づくり

 の会”の、こんなものもありました。「亜熱帯なんだな

 ぁ」。

 

  メインの通りから左右にこんな枝道がのびていま

 したが、ここはバギーでは無理。

 

  並木の終点から海に出てみると、海岸沿いに舗装

 道路があり、それを通って出発地点に戻りました。

 

  強風と、時折ぱらつく雨の中やって来たのは古宇

 利島(写真手前)。目の前の古宇利大橋は沖縄一長

 い、2kmの離島架橋。青い海と空の大人気スポット

 なのですが、この日はちょっと……。

 

  「沖縄そばを食べたい!」という海パパの願いに応

 えてドライバーの運天さんが連れて行ってくれたのが

 このお店。国道から外れ、サトウキビ畑の中の細い

 道の終点にある、いかにも地元の人や通が行く店と

 いった雰囲気。

 

  これがラフテーやソーキがたっぷり乗った、この店

 一押しの”さわのやソバ”。

 

  早速、ミキサーや味噌漉しを取り出して、海くん用

 の沖縄ソバづくりに余念のない海ママ。

 

  この日のホテル”マリオットリゾート&スパ”に到

 着。

 

  ユニバーサルルームでくつろぐ海くんですが、こ

 の日のイベントは、まだ終わっていません。

 

沖縄バリアフリー旅行支援の”Kukuru”にお願いしていた入浴介助が受けられるのです。

午後4時に、代表の鈴木さんと2人の介助スタッフが到着。手際よく準備を進めます。写真

右のシャワーチェアーは、私たちが使っているのに比べてコンパクトです。

 

  このホテルも、「入浴介助しやすい」ということで、

 Kukuruさんが紹介してくれたのです。

 

  お風呂から上がってみんなに体を拭いてもらって

 いる海くん。

 

  Kukuruのみなさん、ありがとうございました。おか

 げで残りの沖縄旅行が、快適に楽しめます。

 


3月13日(木)

  この日は名護から那覇への移動日です。前日に

 引き続いて曇天・強風のなか、万座毛に寄り道して

 記念撮影。

 

  1時過ぎに那覇到着。ホテルに入る前に是非寄っ

 てみたかったのが、首里城です。

 

2000年12月”琉球王国のグスク及び関連遺産群”が、日本で11番目の世界遺産に登録されました。

そのなかでこの首里城公園内にあるのは、この 園比屋武御嶽石門と玉陵、そして今から行く首里城

です。

 

  これが首里城のシンボル”正殿”。沖縄戦で

 消失し、1992年に修復されました。海パパが

 就職してすぐ('80年頃)来たときは、建物の土

 台だけが残る、寒々とした広場でした。

 

  首里城の中は、一部エリアが”写真撮影禁止”

 となっているので、要注意。この正殿2階はOK

 です。壁や柱はすべて朱塗りで、豪華そのもの。

 

  正面にあるのが玉座(資料をもとに復元したもの、以

 下すべて同様)。その上に掲げられているのは、清の

 康煕帝から贈られた直筆の扁額。”ちゅうざんせいど”

 と読み、琉球は中山が代々治める土地である、という

 意味だそうです。

 

  廊下の一部がガラス張りになっていて、消失前の建

 物の基礎が見られます。

 

  正月には、家臣たちが正殿前の御庭(うなー)に居

 並び、国王に拝謁したそうです(すごく精巧な模型)。

 

首里城内には何箇所か段差があったのですが、どこにもリフトが設置されていて

スタッフの男性(粋な民族衣装)が、親切に誘導してくれました。

 

  4時、県庁前のホテルに到着。運天さんとはここで

 お別れです。運天さんは記念に、サンシンと島唄を

 披露してくれました。ありがとうございました。

 


3月14日(金)

  この日は1日かけて、那覇市中心部を散策します。

 まずは国際通りから。お土産をあれこれ品定めしな

 がら、超ゆっくり歩きます。

 

  国際通りを2/3ほど来て、むつみ橋交差点を右に

 曲がり向かったのは……

 

  牧志(まきし)市場の2階。ここは去年の5月に行った

 ひろめ市場(高知)と同じ雰囲気の、活気あふれるグル

 メスポット。ちなみに、海ママはこの日の朝、散歩をか

 ねてここまでやって来て、海くんが利用可能なエレベ

 ーターがあることを確認していたのです。

  早速メニューを広げて、「海くん、なんにする?」

 

  ラフテー(豚の角煮)を食べると、半分白目だったの

 がパッチリ。

 

食後、1階に降りてお店巡りをすると…、ありました。色とりどりの鮮魚や

豚そのままの食材が。ここで買ったものは、2階に持って上がって食べら

れるそうなので、今度来た時には是非そうします(もちろん鮮魚の方)。

 

  市場を出て次に向かったのは、”壺屋やちむん通

 り”壺屋焼きのお店が軒を連ねています。ここで丸鉢

 と角皿、ゴーヤと熱帯魚の箸置きを購入。

 

  ホテルに戻ってしばらくすると、全訪研(※)の古くか

 らの知り合いである城間さんの息子さんが、サンシン

 と島唄を海くんに聞かせに、わざわざ来てくださいま

 した。「こんな所なので、ちょっとボリュームを下げて」

 と言われましたが、朗々とした歌声に海くんウットリ。

※全国訪問教育研究会。学校へ行けない重度の障害児のために、先生が家庭を訪問し
行う教育を”訪問教育”といいます。海くんは小学生の一時期、訪問教育を受けていました。

 

  「沖縄の伝統芸能を、ぜひ観てみたい」という我々

 の願いをかなえるために、城間さんは食事をしなが

 ら沖縄舞踊を鑑賞できる素敵なお店に招待してくだ

 さいました。

 

  沖縄最後の夜。踊りと料理を堪能する海くんでし

 た。

 

  公演終了後、城間さん・みどりさん親娘や出演者

 を交えて記念撮影。城間さん、心に残る夜をありが

 とうございました。

 

  その夜、シャンプー隊(※)でお世話になった坂内

 さんが訪ねて来てくれました。自身の大学卒業と海

 くんの小学部卒業が重なった’02年以来、12年ぶ

 りの再会です。彼女は沖縄県内で保健師として働

 いていて、研修がてら同じホテルに宿泊して会いに

 来てくれたのです。素敵なプレゼントもいただきまし

 た。ありがとう。

※’01年に近くの広島国際大学看護学部の学生が結成した、海くんの洗髪を中心に
生活介護全般のサポートをするボランティアグループ。坂内さんはその中心メンバー。

 


3月15日(土)

  いよいよ広島に帰る朝。那覇空港には、この”ゆい

 レール”(モノレール)で向かいます。ゆいレールは完

 全にバリアフリーです。

 

  午後からの研修には時間の余裕があるため、坂内

 さんは空港まで見送りに来てくれました。

 

  いよいよお別れです。坂内さんが手にしているのは

 卒業時に私たちにプレゼントしてくれた、シャンプー隊

 の活動を記録した写真帳。海ママはそれを旅行に持

 参して、見せてあげたのです。彼女は、それをとても

 喜んでくれました。

 

  那覇空港のラウンジは少々狭いめ。それでも、海

 ママは旅行が無事終わりそうな解放感からか、ビー

 ルをグビリ。

 

帰りには、背もたれを起こしたときに上体をサポートするスリングを貸してくれました。

「こんなものがあるんなら、来るときにも貸してくれよ」という思いと、「9年前に乗ったと

きにはなかったよな、やっぱり進歩してるんだなぁ」という思いが交錯しました。

沖縄でお世話になったすべての皆さん、ありがとうございました。

無事帰宅しました。またいつの日か、沖縄に行きたいです。

 


3月30日(日)

  「何これ?!」と思うかもしれませんが、これは海くん

 の首の後ろです。海くんは、気管口に挿入してある

 カニューレが外れないよう紐で結んでいます。その

 紐で首の後ろが擦れ、そこが化膿して膿や血が出

 ることが時々ありました。この前日、出掛けにかな

 りの出血があり、外出を中止せざるを得ませんでし

 た。そして翌朝その部分を見ると、水膨れができて

 います。根本的な改善策はないものか……?

 

  その日の夕方「家の庭で焼肉をやりたくなった」と、

 長男の墾夫妻がやって来ました。海くんをはじめ、わ

 れわれもお相伴にあずかりました。

 


3月31日(月)

  ”春に三日の晴れなし”。つかの間の晴天を有効に

 使おうと、海ママ・パパは岡村島に自転車で向かいま

 した。写真は、大崎下島から岡村島に向かう最初の

 橋、平羅橋を渡る海ママ。

 

  2人が向かったのは、岡村島南端にある観音崎公

 園(桜の名所です)。北には四国今治の梶取鼻、西に

 は潮待ちと遊女の街、御手洗の伝統的な町並み。そ

 して最高地点には、かつての姿を模した常夜灯が。

 

  見晴らしが開けたところにテーブルと椅子があり、

 そこで、買ってきた弁当を広げました。満開にはま

 だちょっと時間が…。

 

  帰り道、岡村大橋の真ん中に引かれた県境を渡る

 海ママ。向こうに見えるのは、山田洋次監督”東京物

 語”ロケ地の大崎上島。

 

  その日の夕方、村上愛犬・警察犬訓練所から、ゴー

 ルデン・レトリバーの”サラ”(4歳♀)がやって来ました。

 彼女がエミリの二代目として家族の一員になれるか、

 これから1ヵ月あまりの時間をかけて見極めます。

 

  もともと臆病な性格のため、家に入っても腰が引け

 ています。「大丈夫だよ、上がってごらん」。

 

  初めはおっかなびっくりだったサラも、海ママには

 だんだん慣れて、海くんの側にも寄って来てくれる

 ようになり……

 

  夜遅くなるとこんな状態に。しかし、ちょっと強引?

 

  「海くんにおやすみを言ってね」と手を近づけると、

 ほんのちょっとなめてくれました。

 

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