車椅子で富士山登頂

 

障害者の自立支援組織「ワンステップかたつむり」(国立市)が中心となって

「車椅子で富士山に登りたい、実行委員会」を結成.同委員会の呼びかけに

応じて全国から集まったボランティアが、登山用車椅子「プヨプヨ」を引っ張り

ます.そんなダイナミックなイベントに参加した海くんの様子です.

 

 5合目の吉田口に集合し、実行委員会の

 小川さんのに説明を聞く参加者.海くんの

 1つ奥は、もう1人のチャレンジャーの橋本

 さん.

  この日は朝から土砂降りの雨.小止みに

 なるのを待って、予定より2時間遅れの正

 午に出発.

 

 「海くん、いよいよ登るよ.頑張ってね」

 母親の由美(左端)を始め、多くの参加者

 からの声援をうけて、緊張気味の海くん

 

 登り始めてしばらくたったころ、この春

 中学入学と同時にバスケット部に入った

 長男の墾が先頭をかってでました(この

 ポジションが最もきつい).

  まだまだ、みんな元気.

 

 標高2000メートルを超えるあたりで

 海くんの脈拍が急増.ボランティアとし

 て参加してくださった東京小児療育病院

 の広野先生の処置で酸素吸入を開始.

  以後、パルス・オキシメーターで脈拍数

 や血中酸素濃度を観察しながらの登山

 となりました.

 

  日没直前の登山風景.雨は小止みなく

 降り続き、そのうえ砂状の地面に足がめ

 り込み、思うように前に進みません.

  「あれが山小屋の灯だよ」と言われ見上

 げると、夜空の星の様にかなたに見えます.

  山小屋到着は、予定より3時間遅れの午

 後10時.「海くんは異常なし」との広野先生

 の診断に、一同胸をなでおろしました

 

 一夜開けた、山小屋の朝.御来光を見る

 (手前から)長女の理乃と父親の敬治.

  あまりの美しさに、寝不足の疲れも忘れて

 うっとり.

 

 「ソーレ!」という掛け声と共に、2日目の

 登山開始.頂上との高度差は1000メート

 ルを切っています.みんなの胸が登頂への

 期待に膨らみます.

  しかし、これからが大変だったのです.

 

 頂上まであと1歩のところで、折からの強

 風と雨のため、海くんの体温が急低下.

  一方、ボランティアのみんなも、1日目と

 は比較にならない急勾配に体力を消耗.

 永井リーダー(左奥)の判断で、近くの山小

 屋に避難しました.

  くつろいでいるような見かけとは裏腹に、

 「早く頂上を目指さないと、暗くなるまでに山

 小屋に戻れない」と、心は焦ります.

 

 再出発から1時間余り.残り少ない体力を

 振り絞るみんなの目に、山頂を示す鳥居が

 飛び込んできました.

  「もうすぐ頂上だ!」ロープを引く手に思わ

 ず力が入ります.由美の目からは、もう大粒

 の涙が.そして、全員無事登頂.

  「海くん、ここが日本一高い富士山の頂上

 だよ」

 

 山頂での記念撮影.「無謀だ」「危険過ぎ

 る」「親の自己満足だ」など、様々な非難や

 中傷がありました.

  しかし、この笑顔、笑顔、笑顔がそれらを

 全て吹き飛ばしてくれました.

   (山小屋到着は午後5時すぎ)

 

  3日目、下山途中の最難所.「山の事故の

 大半は、下山中に起こる」という山の常識を

 胸に、慎重の上にも慎重に.

 

 3日間ぐずついた天候も回復し、薄日が射

 し始めた.最後の大休止で一息つく由美と海

 くん.

  「ぼく、やったよ」、達成感あふれる海くんの

 顔.この表情こそが最大の収穫でした.

 

  「おかえりなさい」、昼食を用意して待って

 いてくれたボランティアの声に迎えられ、全

 員無事下山完了.

  夏の日に照らされ、一瞬姿をあらわした

 富士山が、みんなを祝福しているようでし

 た.

 

  「海くん、本当に良く頑張ったね」 現地を

 引き上げる直前の記念撮影.家族と、ボラ

 ンティアとして参加した森田夫妻(ディズニー

 ランド・サポーター)、川上さん(新日本出版社)

 と一緒に、「ハイ、チーズ」

 

 下山したその日の夜.国立市で開かれた

 祝賀会.2泊3日の疲れを忘れさせる、心の

 こもった集会でした.

  海くんの、うっとりとした顔を見てください.

  みなさん、本当にありがとうございました.

 

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